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フォン・イェン監督が日本との縁を育んだ関西と、
昨年のあいち女性映画祭2008で温かく迎えて頂いた 名古屋での上映がまもなく28日(土)よりスタートします。 関西近郊のみなさま、名古屋近郊のみなさま、 フォン・イェン監督は今回は残念ながら 立ち会うことができませんが 劇場公開というフォン監督晴れ舞台へのご参加 どうぞご支援のほどをよろしくお願いします! 上映スケジュール (大阪) 第七藝術劇場 06-6302-2073 3/28(土)〜4/3(金) 12:40/18:40 4/4(土)〜4/10(金) 12:40/14:55 4/11(土)〜4/17(金) 10:30 4/18(土)〜4/24(金) 16:55 (京都) 京都シネマ 075-353-4723 3/28(土)〜4/3(金)13:00 (〜14:57) 4/4(土)以降未定 (名古屋) 名古屋シネマスコーレ 052-452-6036 3/28(土)〜4/10(金)10:20/12:30/14:40 ▲
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| 2009-03-26 14:52
ユーロスペースでの上映がいよいよあさって27日までとなります。
これまでいらしてくださいましたたくさんのみなさん どうもありがとうございます。 先日ある方から、『長江にいきる』を見終わった後、 何十年ぶりにかに誰かと話をしたくなるような作品で、 思わずエレベーターの中で一緒になった人と 「いい映画でしたねえ」と話し込んでしまった という良いお話を伺いました。 残すところあと2日。お見逃しなきよう ご家族・ご友人のみなさんにもどうぞご周知ください! そしてそして、好評につき関東圏での拡大上映も予定しています。 少しだけ時間をおいてジャック&ベティ(黄金町)にて4/25(土)-5/8(金)上映予定です。 さらに、ユーロスペースでのアンコール・モーニング上映も決定いたしました! 5月9日(土)〜22日(金)10:00〜です。 ほか、詳細はまた追って、お知らせいたします。 引き続き、みなさんのご支援をよろしくお願いいたします。 DDセンター ▲
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| 2009-03-25 18:56
DDセンターの藤岡朝子です。
3月10日に監督は嵐のように中国へ帰っていきました。残された私たちスタッフは、空気の抜けた風船のような数日を過ごした後、気を取り直して13日(金)に期待のトークショーを迎えました。 映画音響の菊池信之さんはこのブログでも連続エッセーを発表し、『長江にいきる』のニュー・サウンド・ヴァージョンへの生まれ変わりを実現させたその人。映画評論家の山根貞男さんは、監督のフォン・イェンが翻訳した小川紳介監督の講演録『映画を穫る』を編集した方であり、山形映画祭を通してフォン・イェンの成長を長年見守ってきました。 昨年8月に初めての試写会で新生第一弾『長江にいきる』(その後、さらに2回ものヴァージョンを経て公開版となる)が披露された直後、山根さんは菊池さんに「いったいどうやったら、ああなるの?」と素朴な疑問を投げつけました。そして山根さんとご一行は菊池さんとともに「魚や一丁」に流れこみ、何時間も白熱したビンアイ話が沸いたのでした。 今回のトークショーは、あの楽しかった飲み屋での時間の再現とも言える、充実の対話となりました。 何といっても山根さんの、まるで目の前に絵が見えてくるような見事なシーン描写。カットごとに、映っているもの、カメラの動き、聞こえてくる音、台詞などを記憶されているのが素晴らしい。漠然とした印象論に萎めないから、聞いている私たちは映画原初のワクワク感をおぼえるのです。 そして、少しいかめしい無表情を崩さずマイペースで話り続ける菊池さん。具体的な細部を指摘して質問を投げかける山根さんに対して、作業とその「こころ」をじっくりと聞かせてくれました。 私のメモによると、大体こんな話でした。「うんぬん」が多くて、すみません。どなたか補足してください。 >Y 「音響設計」ってどういうこと? そしてトークの後は、また明け方近くまで飲み食いしながらビンアイ論が語り続けられたのでした…。 ▲
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| 2009-03-17 01:06
シネマぴあのランキング、3月7日公開映画の中で堂々の3位!
平均点が89.3点で、ドラえもんには負けましたが、「ジェネラル・ルージュの凱旋」の上を行きました。投票してくれた皆さん、どうもありがとうございました。 http://www.pia.co.jp/cinema/ranking.html ▲
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| 2009-03-10 23:43
DDセンターの藤岡です。
おかげさまで、渋谷の映画館ユーロスペースで無事公開初日を迎えることができました。144席の劇場で、一日4回上映。土曜日曜の二日間で約500人のお客さんにご来場いただきました。どうもありがとうございました。 監督のフォン・イェンも舞台挨拶をし、最終回は秦早穂子さん(土曜)と加藤千洋さん(日曜)がそれぞれ映画をめぐって監督とトーク。秦さんはゴダールなどフランスのヌーヴェルヴァーグを日本に紹介した映画の大先輩。「いい女の生き様」という名目のトークテーマでしたが、話題は縦横無尽に広がり、秦さんがこの映画を見て流した涙の重みは、言葉を通してお客さんに深い感動を与えました。二人の盛り上がりは打ち上げの台湾料理屋まで止まらず深夜まで続きました! 朝日新聞の編集委員の加藤さんは中国に深い造詣のあるジャーナリストらしく、黄河と長江文明についての話から、三峡ダムをめぐる論争をビンアイの村の現状へと、わかりやすくフォンイェンとのトークを導いてくれました。この物語の背景を知り、ビンアイ一家のその後へと想像力を膨らませてくれる、とてもいい会話となりました。 秦さん、加藤さん、お忙しいところ、どうもありがとうございました。 これが封切りで、これから20日ほど連日ユーロスペースでの上映が続きます。ひとりでも多くの方に見ていただけるよう、ぜひ『長江にいきる』の応援をよろしくお願いします。 ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2009-03-09 02:16
(その1、2と続いて音響の菊池信之さんによる連続エッセーの完結編です)
中国と日本は確かに遠い。 監督とは、作業中に音の具体的内容について連絡を取り合ったことはほとんどなかった。音はとても微妙で音量が少し違っただけでもその印象も違えば意味も違ってくる。言葉で伝え合うのは難しいのだ。 作業していて一番の苦労は、途中で監督との確認ができなかったことだ。自分の仕事に自分でOKを出さなければいけない。音の全てはどれをとっても説明はつくし、理屈はあったが監督の意向を最終的に確認出来ているわけでない。常に不安はつきまとった。 8月になって、最初の試写会の為に監督が来日した。 10ヶ月前、山形で会った時、髪を長くして遠慮がちに話していた監督は確かに女性だった。しかし、この夏にやってきた監督にはその長い髪はなく、丸坊主頭で見た目も性格もやんちゃ盛りの少年の様だった。よくしゃべるし、笑うし、その変貌ぶりに驚いた。監督は来日前に疲労から来る脱毛の為に坊主頭にしたと言う。僕は、どちらが本当の監督、フォン・イエンなのか戸惑った。 試写会までの時間は5日間しかなかった。 その5日間の中でやるべき事は、音の最終的な仕上げに加えて、台詞字幕の整理、これまでの日本語字幕を一部整理しようということだった。 これが、狭い私の作業部屋で監督、配給の藤岡朝子さん(DDC)、音のアシスタントの高田慎也君、そして私の4人の同時進行の作業で展開した。音の仕事をしている隣の部屋では、字幕の作業。最初の夜からほぼ毎日作業は深夜まで続いた。 先ず、監督に仕事の結果を見て貰った。これまでの作品(山形版)では聞こえなかった音が聞こえ、邪魔に思っていた音が抑えられ、見やすくなって監督も喜び、お互いに和やかな内にその作業は展開した。 一つ一つ作業経過を説明し、監督の意向を確かめ、作業は続いた。 丁寧に作ったつもりの音でも監督の意向との照らし合わせは出来ていない。そして監督と一緒に観れば今まで気づかなかった側面も見えてくる。修正を加えて更に見る。修正が加わった事で見えてくるものある。回を重ねれば修正箇所は減るものだが、今回は、回を追う毎に監督の質問、要望が多くなり、作業は増えていった。 作業の進行と共に議論を重ねた。日を追う毎に試写会までの時間も迫ってくる。音が出来上がっても、その後に映像に音を戻していく作業が残っている。作業が4日目を迎えた頃、既にその制限時間は超えていた。もう修正の時間はない。その事を監督に告げて最後のチェックの時に入った。でも、監督からの注文、修正は続いた。試写会に間に合うかどうか……。残り時間との戦いになる。スリリングな時間は、試写会の直前まで続いた。徹夜どころか間に合うかどうかの問題だった。言葉にならない言葉、言葉以外の意味の探り合い、白熱した議論だった。結果的に時間には間に合い、監督も何事もなかったかのように舞台挨拶をすませ、最初の試写会は盛況のうち終わった。 音の作業に於いて、言葉でその意図は伝わりにくい。私の場合は説明しきれない所は音を作って聞かせればよかったが、監督はそれを言葉に置き換えなければいけない。 監督は堪能な日本語を話しながらも、「私は日本人ではないから」と言葉の問題を口にした。確かにその問題はあるのだろうけど、この仕事に必要なものは言葉以外のものだったのだと思う。それは共通の意識と言ってしまえば簡単だが、一つの言葉では語りきれない何かなのだ。しかし、私はこの様にお互いの意志や思惑が交錯する時こそが、映画をより豊かにするために必要な時間だと思う。 監督は、作業が終盤に向かうに従って注文が多くなった事についてこう言った。「音でこんな風に感情が表現できたり、いろんな影響があると思っていなかった。ここでやってみて初めて分かった事なんです」と。 無理もない。一般的に映画で音の働きはうまくいけばいくほど、映像や物語が印象深くなる。しかしその分、音そのものの印象は影に隠れてしまう事が多い。音の働きとはそういうものだと思う。だから出来上がった映画を見ても、音の働きは分かりにくい。主張のある映像と、それを支える音の在り方は違うのだ。だから音の働きについて監督の意識がそこになかった事は当然のことだった。 ともあれ、作業中の議論の一つ。 この作品はカメラマイクだけで撮った作品である。概ねそれでも音はよく聞こえたが、静かな所でも遠く離れた人のつぶやきや小声は聞こえない。それの処理についての議論である。聞こえにくい音に関しては、音量を上げるとカメラのモーター音のキーンという耳障りな音も上がってくる。これに関してそれを嫌って話し言葉も聞こえないままでいいと言う意見と、それは撮影の時にあった音だから仕方ないという意見とがいろんな角度からの話し合いとなった。 キーンというカメラ音は神経に障るから、私は、近くの川を通る船のエンジンの微かな音を加えて耳障りな感じを和らげようとしたが、これを監督は嫌がった。加えようとする音は殆ど聞こえないような小さなものだったが気に入らない……。何度かの調整の後、監督の意向でその音を外しはしたが、カメラから発する音は違和感として残り、その決定に私は内心違和感を感じていた。監督は、その船の音が嫌いだという言葉以外に何か意味があったのかも知れない。なぜあの微かな音を監督は嫌ったのだろう。 そのシーンは家の中で話す言葉や感情を集中させたい所である。加えた音の音量が大きいとか小さいとかの問題ではなく、家の中に対して、船の音は「外」の音である。その音によって意識は拡散する。その理由で船の音を嫌ったのだろうと、監督意図をやっと理解した。試写会場の中で私はそれを確信した。 しかし、試写会の後、監督は私に言ってきた。「あのシーンはキクチサンの言う通りでした。やはり船の音を少し混ぜましょう」と。 カメラのモーター音が耳障りだったと言う。今度は立場を逆転させての議論を始めなければならなかった。その時の音も微妙な調整の結果のものではあったが、もう一度、初手に戻って、船の音を加えずに監督の要望を果たすべく再調整に入った。 この作品は一回目の試写が終わって監督が帰国した後も、細かい部分とはいえ、中国に音を送ったりしながら更に2回の修正を行った。 フィルムでの作業は、経費の関係上、出来上がってからの修正はよほどの事でないと難しい。しかし、デジタルテープの作業はそれが比較的可能だ。それを嫌がる人もいるが、私は直したければ直せばいいと思う。昔の習慣やフィルムのやり方を踏襲する事は何ら必要の無いことだと思う。それらに縛られることは必要はない、今の我々に必要な事を必要な方法でやっていけば良いだけの事だ。 2008年の秋深くなって全ての作業は終了した。 作品はこの後、観客としての皆さんと触れあって完成の時を迎える。 (終わり) ![]() ▲
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| 2009-03-06 19:25
DDセンターの藤岡です。
おかげさまで、朝日新聞、読売新聞、日経新聞など続々紹介が続いています。 国際交流基金の日中交流コミュニティサイトで、『長江にいきる』を紹介してくれました。このサイトのすばらしいところは、中国語も作ってくれることです。この映画の公式サイトに載ってる情報が中国語になっています! 中国語の勉強にもなりますよ! http://www.chinacenter.jp/chinese/special/choukou/index.html また、藤岡とフォンイェンがウェブ上で会話した結構レアな記事が、UPLINKのサイトに出ました。読み応えあります。 http://www.webdice.jp/dice/detail/1290/ ▲
by bingai
| 2009-03-02 15:52
DDセンターの藤岡朝子です。
渋谷ユーロスペースでの初日まであと一週間を切りました。 そして監督のフォン・イェンがまた来日し、彼女一流のいつものパワーを振りまいてくれています。 27日(金)は彼女のドキュメンタリー人生を深く影響した小川プロ作品の特集上映で講演がありました。1993年の山形映画祭に誘われて出会ったドキュメンタリーの衝撃、朝から晩まで見続けて、夜は新刊の『映画を穫る』(小川紳介著)をホテルで夢中になって読みふけったこと。中国でドキュメンタリーを作り始めた若者たちから「翻訳してほしい」と懇願されて台湾で出版された経緯。この本が今の中国で「ドキュメンタリーの聖書」のようにして読まれていること。最近中国で相次ぐ小川プロ特集上映が中国ドキュメンタリストに与えた影響。自分が撮るようになったときに意識した小川紳介の映画論。そして今、映画音響の菊池信之さんと仕事をするようになったことから改めて思う、小川プロとその時代の遺した思想。 60人ほどのお客さんを前に、フォン・イェンは1時間ほど話しました。おもしろい話だった、と友人たちは終わって口々に言っていましたが、緊張していたフォン・イェンは、視線が泳いだり、言葉に詰まったり、具体性が足りない部分も多かったと私は感じて、私はつい「うーん、いつものフォン・イェンのトークのおもしろさを知っているだけに、今日は50点かなあ」と彼女に言ってしまいました。 いつもの彼女の話は本当におもしろく、まるで目の前に絵が見えるような話の具体性と、生き生きとしたエネルギーに、聞いていてすっかり巻き込まれてしまうので、つい今日は辛口の点をつけてしまいました。彼女は少し落ち込んだようで、私はすぐに自分の言葉を後悔しました。 アテネ・フランセ文化センターに来ていたお客さんは8割が20代~30代の男性でした。たぶん、いかめしい顔をして無表情にフォン・イェンの話を聞いていたことでしょう。(私には彼らの頭の後ろしか見えなかった。)いつも人との交流の中で話に花を咲かせるフォン・イェンはさぞやりにくかったんでしょうね。今後のトークでは、ぜひ前列の皆さん、うなづいたり笑ったり、反応してあげてくださいね。 ![]() ちょうどこの日の読売新聞と朝日新聞の夕刊に、『長江にいきる』のすばらしい映画評が出ました。どちらもいいんですが、朝日新聞はまるで小川プロ特集で話すこの日のフォン・イェンを祝福するかのような文面でした。 …小川(紳介)といえば、成田空港建設への反対闘争に立った農民たちを描く連作で知られるが、本作を見ると、少なくとも二つの点で彼女が小川のDNAの継承者であるとわかる。まず国家の政策によって愛着のある土地を離れるよう強制され、抵抗する農民を被写体とする点。そして長期にわたるスパンで被写体と成熟した関係を築き、ジャーナリスティックな取材ではけっして到達できない類いの映像体験を僕らにもたらす点において……。… ▲
by bingai
| 2009-03-02 02:08
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