関西&名古屋での上映が28日よりはじまります!

フォン・イェン監督が日本との縁を育んだ関西と、
昨年のあいち女性映画祭2008で温かく迎えて頂いた
名古屋での上映がまもなく28日(土)よりスタートします。

関西近郊のみなさま、名古屋近郊のみなさま、
フォン・イェン監督は今回は残念ながら
立ち会うことができませんが
劇場公開というフォン監督晴れ舞台へのご参加
どうぞご支援のほどをよろしくお願いします!

上映スケジュール
(大阪)
第七藝術劇場 06-6302-2073

3/28(土)〜4/3(金) 12:40/18:40
4/4(土)〜4/10(金) 12:40/14:55
4/11(土)〜4/17(金) 10:30
4/18(土)〜4/24(金) 16:55

(京都)
京都シネマ  075-353-4723

3/28(土)〜4/3(金)13:00 (〜14:57)
4/4(土)以降未定

(名古屋)
名古屋シネマスコーレ 052-452-6036

3/28(土)〜4/10(金)10:20/12:30/14:40
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# by bingai | 2009-03-26 14:52

いよいよ27日(金)まで!

ユーロスペースでの上映がいよいよあさって27日までとなります。
これまでいらしてくださいましたたくさんのみなさん
どうもありがとうございます。

先日ある方から、『長江にいきる』を見終わった後、
何十年ぶりにかに誰かと話をしたくなるような作品で、
思わずエレベーターの中で一緒になった人と
「いい映画でしたねえ」と話し込んでしまった
という良いお話を伺いました。

残すところあと2日。お見逃しなきよう
ご家族・ご友人のみなさんにもどうぞご周知ください!

そしてそして、好評につき関東圏での拡大上映も予定しています。
少しだけ時間をおいてジャック&ベティ(黄金町)にて4/25(土)-5/8(金)上映予定です。

さらに、ユーロスペースでのアンコール・モーニング上映も決定いたしました!
5月9日(土)〜22日(金)10:00〜です。
ほか、詳細はまた追って、お知らせいたします。

引き続き、みなさんのご支援をよろしくお願いいたします。

DDセンター
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# by bingai | 2009-03-25 18:56

山根貞男さんと菊池信之さんのトーク

DDセンターの藤岡朝子です。

3月10日に監督は嵐のように中国へ帰っていきました。残された私たちスタッフは、空気の抜けた風船のような数日を過ごした後、気を取り直して13日(金)に期待のトークショーを迎えました。

映画音響の菊池信之さんはこのブログでも連続エッセーを発表し、『長江にいきる』のニュー・サウンド・ヴァージョンへの生まれ変わりを実現させたその人。映画評論家の山根貞男さんは、監督のフォン・イェンが翻訳した小川紳介監督の講演録『映画を穫る』を編集した方であり、山形映画祭を通してフォン・イェンの成長を長年見守ってきました。

昨年8月に初めての試写会で新生第一弾『長江にいきる』(その後、さらに2回ものヴァージョンを経て公開版となる)が披露された直後、山根さんは菊池さんに「いったいどうやったら、ああなるの?」と素朴な疑問を投げつけました。そして山根さんとご一行は菊池さんとともに「魚や一丁」に流れこみ、何時間も白熱したビンアイ話が沸いたのでした。

今回のトークショーは、あの楽しかった飲み屋での時間の再現とも言える、充実の対話となりました。

何といっても山根さんの、まるで目の前に絵が見えてくるような見事なシーン描写。カットごとに、映っているもの、カメラの動き、聞こえてくる音、台詞などを記憶されているのが素晴らしい。漠然とした印象論に萎めないから、聞いている私たちは映画原初のワクワク感をおぼえるのです。

そして、少しいかめしい無表情を崩さずマイペースで話り続ける菊池さん。具体的な細部を指摘して質問を投げかける山根さんに対して、作業とその「こころ」をじっくりと聞かせてくれました。

私のメモによると、大体こんな話でした。「うんぬん」が多くて、すみません。どなたか補足してください。

>Y 「音響設計」ってどういうこと?
>K 結構説明しにくいが、うんぬん。ハリウッドでは徹底的な分業。
>Y たとえばトップシーンではどういう音が聞こえていたっけ?
そしてその「音響設計」はどういう仕事をしたの?
>K それはですね…、うんぬん。雨のシーンが説明しやすい。このシーンでは… うんぬん。
>Y 小川プロにいましたけど、録音という仕事についた理由は?
>K 小川プロではプロがいなかったから仕方なく… うんぬん。
>Y 青山真治監督や日本映画の新鋭と組んで劇映画の新作を手がけ続けているね。今、音が重視されている理由は?
>K うんぬん。私に依頼が来るのは安上がりだからでしょう(笑)。分業しすぎると現場で感じた感情を人に伝えて仕上げに生かすのが難しい。
>Y 爆竹のシーン。(カットごとに説明。)シークエンス前半は爆竹音でつなぎ、後半は人の声でつないでいる。お見事。
>K 爆竹音を抑えて人の心に入りこむことを意図した。山の上のシーンのあと、山の下を二人で歩いてトラックが通る。このときも同じことをした。実際の録音されたトラックの音(リアルな音)は大きかったが、抑えた。
>Y 山の上の「闘争映画」として心理に迫るシーン。カメラのゆれと風の音が絶妙に心理に迫る。これこそ庶民の抵抗を表す。
>K 風だけでなく、工事の音があった。工事の音は現実のおもしろさを示してくれる。予期しないが、ここだ、というところで大きくなる。
もし穏やかな天気だったらそこでの人々のやりとりも違っていたに違いない。音は人の行動に影響を与える。
>Y 観客は劇的高まりと共に音が印象的に感じる。
>Y 作為ということについて。結婚式の話をする川辺のシーン。声が高まると同時に川の音まで高まるように思えた。船のカットになると急に静か。とても効果的。
>K どこのポジションから被写体を見ているのか、これは音によって変わる。
畑の映像に川のインタビューをVOすることに苦労した。同録に聞こえさせたくないし…。川の音を加えることでビンアイの心に寄ろうとした。
夢の話。実家の話だから実家の笹を思わせる音を入れる。
>Y 「やりました!」と気づかれてはダメ、観客が夢の世界に自然に入っていけるのがすごい。
人間の声はどういじる? 村の会議のシーンで、音が右と左から出る!
>K 立体音響だから当たり前ですよ。(笑)
テロップとの関係も大事。黒バックの無音のショットへの入りと出に気を使った。小さな工夫で印象が変わる。
>Y 音を足すことについて。勝手にやるわけではなく、元の作品を大事にするわけですね。
>K 現実にそこにあるべき音を忠実に再現していくことで、映像の心のようなものが見えてきて、必要な音、いらない音がおのずから見えてくる。
現実に則していくと、その不思議に導かれて気づかなかった現実が見えてくる。それは楽しい。
>Y 菊池さんは指揮者のように音の上げ下げをするわけだが、この映画の凄さ=「ビンアイの生活の具体性」も音に現われている。鳥や犬の声まで。屋根瓦のシーン、壊れる音がしたら、次のシークエンスで解体作業に入る。音で映像がつながる。
>K 義弟が契約書をサインするシーンに解体工事の音をいれた。
>Y 菊池さんからラスト一言。
>K 映画の興奮から覚めやらぬうちから音のことについて聞かされて、皆さんどうだったか心配です。


そしてトークの後は、また明け方近くまで飲み食いしながらビンアイ論が語り続けられたのでした…。
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# by bingai | 2009-03-17 01:06

シネマぴあ満足度ランキング

シネマぴあのランキング、3月7日公開映画の中で堂々の3位!
平均点が89.3点で、ドラえもんには負けましたが、「ジェネラル・ルージュの凱旋」の上を行きました。投票してくれた皆さん、どうもありがとうございました。
http://www.pia.co.jp/cinema/ranking.html
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# by bingai | 2009-03-10 23:43

初日を迎えました!

DDセンターの藤岡です。

おかげさまで、渋谷の映画館ユーロスペースで無事公開初日を迎えることができました。144席の劇場で、一日4回上映。土曜日曜の二日間で約500人のお客さんにご来場いただきました。どうもありがとうございました。

監督のフォン・イェンも舞台挨拶をし、最終回は秦早穂子さん(土曜)と加藤千洋さん(日曜)がそれぞれ映画をめぐって監督とトーク。秦さんはゴダールなどフランスのヌーヴェルヴァーグを日本に紹介した映画の大先輩。「いい女の生き様」という名目のトークテーマでしたが、話題は縦横無尽に広がり、秦さんがこの映画を見て流した涙の重みは、言葉を通してお客さんに深い感動を与えました。二人の盛り上がりは打ち上げの台湾料理屋まで止まらず深夜まで続きました!

朝日新聞の編集委員の加藤さんは中国に深い造詣のあるジャーナリストらしく、黄河と長江文明についての話から、三峡ダムをめぐる論争をビンアイの村の現状へと、わかりやすくフォンイェンとのトークを導いてくれました。この物語の背景を知り、ビンアイ一家のその後へと想像力を膨らませてくれる、とてもいい会話となりました。

秦さん、加藤さん、お忙しいところ、どうもありがとうございました。

これが封切りで、これから20日ほど連日ユーロスペースでの上映が続きます。ひとりでも多くの方に見ていただけるよう、ぜひ『長江にいきる』の応援をよろしくお願いします。
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本当にかっこよかった、秦早穂子さん。

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穏やかに社会問題に切り込む、加藤千洋さん。

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監督はサイン攻め、おかげさまでパンフレットが売れました。
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# by bingai | 2009-03-09 02:16

音、もうひとつの物語(その3)

(その1、2と続いて音響の菊池信之さんによる連続エッセーの完結編です)

中国と日本は確かに遠い。

監督とは、作業中に音の具体的内容について連絡を取り合ったことはほとんどなかった。音はとても微妙で音量が少し違っただけでもその印象も違えば意味も違ってくる。言葉で伝え合うのは難しいのだ。
作業していて一番の苦労は、途中で監督との確認ができなかったことだ。自分の仕事に自分でOKを出さなければいけない。音の全てはどれをとっても説明はつくし、理屈はあったが監督の意向を最終的に確認出来ているわけでない。常に不安はつきまとった。

8月になって、最初の試写会の為に監督が来日した。
10ヶ月前、山形で会った時、髪を長くして遠慮がちに話していた監督は確かに女性だった。しかし、この夏にやってきた監督にはその長い髪はなく、丸坊主頭で見た目も性格もやんちゃ盛りの少年の様だった。よくしゃべるし、笑うし、その変貌ぶりに驚いた。監督は来日前に疲労から来る脱毛の為に坊主頭にしたと言う。僕は、どちらが本当の監督、フォン・イエンなのか戸惑った。

試写会までの時間は5日間しかなかった。
その5日間の中でやるべき事は、音の最終的な仕上げに加えて、台詞字幕の整理、これまでの日本語字幕を一部整理しようということだった。
これが、狭い私の作業部屋で監督、配給の藤岡朝子さん(DDC)、音のアシスタントの高田慎也君、そして私の4人の同時進行の作業で展開した。音の仕事をしている隣の部屋では、字幕の作業。最初の夜からほぼ毎日作業は深夜まで続いた。

先ず、監督に仕事の結果を見て貰った。これまでの作品(山形版)では聞こえなかった音が聞こえ、邪魔に思っていた音が抑えられ、見やすくなって監督も喜び、お互いに和やかな内にその作業は展開した。
一つ一つ作業経過を説明し、監督の意向を確かめ、作業は続いた。

丁寧に作ったつもりの音でも監督の意向との照らし合わせは出来ていない。そして監督と一緒に観れば今まで気づかなかった側面も見えてくる。修正を加えて更に見る。修正が加わった事で見えてくるものある。回を重ねれば修正箇所は減るものだが、今回は、回を追う毎に監督の質問、要望が多くなり、作業は増えていった。
作業の進行と共に議論を重ねた。日を追う毎に試写会までの時間も迫ってくる。音が出来上がっても、その後に映像に音を戻していく作業が残っている。作業が4日目を迎えた頃、既にその制限時間は超えていた。もう修正の時間はない。その事を監督に告げて最後のチェックの時に入った。でも、監督からの注文、修正は続いた。試写会に間に合うかどうか……。残り時間との戦いになる。スリリングな時間は、試写会の直前まで続いた。徹夜どころか間に合うかどうかの問題だった。言葉にならない言葉、言葉以外の意味の探り合い、白熱した議論だった。結果的に時間には間に合い、監督も何事もなかったかのように舞台挨拶をすませ、最初の試写会は盛況のうち終わった。

音の作業に於いて、言葉でその意図は伝わりにくい。私の場合は説明しきれない所は音を作って聞かせればよかったが、監督はそれを言葉に置き換えなければいけない。
監督は堪能な日本語を話しながらも、「私は日本人ではないから」と言葉の問題を口にした。確かにその問題はあるのだろうけど、この仕事に必要なものは言葉以外のものだったのだと思う。それは共通の意識と言ってしまえば簡単だが、一つの言葉では語りきれない何かなのだ。しかし、私はこの様にお互いの意志や思惑が交錯する時こそが、映画をより豊かにするために必要な時間だと思う。

監督は、作業が終盤に向かうに従って注文が多くなった事についてこう言った。「音でこんな風に感情が表現できたり、いろんな影響があると思っていなかった。ここでやってみて初めて分かった事なんです」と。
無理もない。一般的に映画で音の働きはうまくいけばいくほど、映像や物語が印象深くなる。しかしその分、音そのものの印象は影に隠れてしまう事が多い。音の働きとはそういうものだと思う。だから出来上がった映画を見ても、音の働きは分かりにくい。主張のある映像と、それを支える音の在り方は違うのだ。だから音の働きについて監督の意識がそこになかった事は当然のことだった。

ともあれ、作業中の議論の一つ。
この作品はカメラマイクだけで撮った作品である。概ねそれでも音はよく聞こえたが、静かな所でも遠く離れた人のつぶやきや小声は聞こえない。それの処理についての議論である。聞こえにくい音に関しては、音量を上げるとカメラのモーター音のキーンという耳障りな音も上がってくる。これに関してそれを嫌って話し言葉も聞こえないままでいいと言う意見と、それは撮影の時にあった音だから仕方ないという意見とがいろんな角度からの話し合いとなった。

キーンというカメラ音は神経に障るから、私は、近くの川を通る船のエンジンの微かな音を加えて耳障りな感じを和らげようとしたが、これを監督は嫌がった。加えようとする音は殆ど聞こえないような小さなものだったが気に入らない……。何度かの調整の後、監督の意向でその音を外しはしたが、カメラから発する音は違和感として残り、その決定に私は内心違和感を感じていた。監督は、その船の音が嫌いだという言葉以外に何か意味があったのかも知れない。なぜあの微かな音を監督は嫌ったのだろう。

そのシーンは家の中で話す言葉や感情を集中させたい所である。加えた音の音量が大きいとか小さいとかの問題ではなく、家の中に対して、船の音は「外」の音である。その音によって意識は拡散する。その理由で船の音を嫌ったのだろうと、監督意図をやっと理解した。試写会場の中で私はそれを確信した。

しかし、試写会の後、監督は私に言ってきた。「あのシーンはキクチサンの言う通りでした。やはり船の音を少し混ぜましょう」と。
カメラのモーター音が耳障りだったと言う。今度は立場を逆転させての議論を始めなければならなかった。その時の音も微妙な調整の結果のものではあったが、もう一度、初手に戻って、船の音を加えずに監督の要望を果たすべく再調整に入った。

この作品は一回目の試写が終わって監督が帰国した後も、細かい部分とはいえ、中国に音を送ったりしながら更に2回の修正を行った。
フィルムでの作業は、経費の関係上、出来上がってからの修正はよほどの事でないと難しい。しかし、デジタルテープの作業はそれが比較的可能だ。それを嫌がる人もいるが、私は直したければ直せばいいと思う。昔の習慣やフィルムのやり方を踏襲する事は何ら必要の無いことだと思う。それらに縛られることは必要はない、今の我々に必要な事を必要な方法でやっていけば良いだけの事だ。

2008年の秋深くなって全ての作業は終了した。
作品はこの後、観客としての皆さんと触れあって完成の時を迎える。
(終わり)
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左から高田伸也さん、菊池さん、フォン・イェンさん。高田さんはこの作品で菊池さんの助手として幾晩徹夜したかわからないくらい、細かくて繊細な作業をこなしてくれました。ちなみに高田さんの男前については、いつもフォン・イェンと話題になります。(藤岡朝子)
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# by bingai | 2009-03-06 19:25

記事が出てます

DDセンターの藤岡です。

おかげさまで、朝日新聞、読売新聞、日経新聞など続々紹介が続いています。

国際交流基金の日中交流コミュニティサイトで、『長江にいきる』を紹介してくれました。このサイトのすばらしいところは、中国語も作ってくれることです。この映画の公式サイトに載ってる情報が中国語になっています! 中国語の勉強にもなりますよ!
http://www.chinacenter.jp/chinese/special/choukou/index.html

また、藤岡とフォンイェンがウェブ上で会話した結構レアな記事が、UPLINKのサイトに出ました。読み応えあります。
http://www.webdice.jp/dice/detail/1290/

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# by bingai | 2009-03-02 15:52

フォン・イェンの講演会

DDセンターの藤岡朝子です。

渋谷ユーロスペースでの初日まであと一週間を切りました。
そして監督のフォン・イェンがまた来日し、彼女一流のいつものパワーを振りまいてくれています。

27日(金)は彼女のドキュメンタリー人生を深く影響した小川プロ作品の特集上映で講演がありました。1993年の山形映画祭に誘われて出会ったドキュメンタリーの衝撃、朝から晩まで見続けて、夜は新刊の『映画を穫る』(小川紳介著)をホテルで夢中になって読みふけったこと。中国でドキュメンタリーを作り始めた若者たちから「翻訳してほしい」と懇願されて台湾で出版された経緯。この本が今の中国で「ドキュメンタリーの聖書」のようにして読まれていること。最近中国で相次ぐ小川プロ特集上映が中国ドキュメンタリストに与えた影響。自分が撮るようになったときに意識した小川紳介の映画論。そして今、映画音響の菊池信之さんと仕事をするようになったことから改めて思う、小川プロとその時代の遺した思想。

60人ほどのお客さんを前に、フォン・イェンは1時間ほど話しました。おもしろい話だった、と友人たちは終わって口々に言っていましたが、緊張していたフォン・イェンは、視線が泳いだり、言葉に詰まったり、具体性が足りない部分も多かったと私は感じて、私はつい「うーん、いつものフォン・イェンのトークのおもしろさを知っているだけに、今日は50点かなあ」と彼女に言ってしまいました。

いつもの彼女の話は本当におもしろく、まるで目の前に絵が見えるような話の具体性と、生き生きとしたエネルギーに、聞いていてすっかり巻き込まれてしまうので、つい今日は辛口の点をつけてしまいました。彼女は少し落ち込んだようで、私はすぐに自分の言葉を後悔しました。

アテネ・フランセ文化センターに来ていたお客さんは8割が20代~30代の男性でした。たぶん、いかめしい顔をして無表情にフォン・イェンの話を聞いていたことでしょう。(私には彼らの頭の後ろしか見えなかった。)いつも人との交流の中で話に花を咲かせるフォン・イェンはさぞやりにくかったんでしょうね。今後のトークでは、ぜひ前列の皆さん、うなづいたり笑ったり、反応してあげてくださいね。


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ちょうどこの日の読売新聞と朝日新聞の夕刊に、『長江にいきる』のすばらしい映画評が出ました。どちらもいいんですが、朝日新聞はまるで小川プロ特集で話すこの日のフォン・イェンを祝福するかのような文面でした。

…小川(紳介)といえば、成田空港建設への反対闘争に立った農民たちを描く連作で知られるが、本作を見ると、少なくとも二つの点で彼女が小川のDNAの継承者であるとわかる。まず国家の政策によって愛着のある土地を離れるよう強制され、抵抗する農民を被写体とする点。そして長期にわたるスパンで被写体と成熟した関係を築き、ジャーナリスティックな取材ではけっして到達できない類いの映像体験を僕らにもたらす点において……。…
(北小路隆志・映画評論家)

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# by bingai | 2009-03-02 02:08

月刊ヤマガタ2月号のトーク

2月23日(月)の月刊ヤマガタ2月号『チーズとうじ虫』の上映後、
『チーズとうじ虫』と『長江にいきる』の宣伝を担当している原田徹さんと、
両作品の音の仕上げ作業に関わっている菊地信之さんが、トークゲストとして参加しました。

個人で作るドキュメンタリーの公開と、音響が作り出すもうひとつの物語について、それぞれの経験を交えて、笑いも誘いながらのトークは、
興味が尽きないあっという間の1時間。

ドキュメンタリー作品や個性的な作家の宣伝仕事が多いという原田さんは
宣伝の醍醐味を、作品をどうやって宣伝していくのかを発想し、
構成していくというスリリングな魅力と人との出会いであると。
劇映画とドキュメンタリーといったジャンルに括られない
映画との関わりを持ち続けている菊池さんがされた、音響設計が膨らませる効果のみならず、音を作ることと作品を公開していくことは別々の作業ではなくて切り離せない一体である、というお話は『長江にいきる』での配給宣伝活動の精神にも引き継がれている、印象的なお話でした。

昨日からフォン・イェン監督が来日。
雪模様となった27日の東京ですが、今晩はアテネフランセ文化センターで、
17:00から『辺田部落』の上映後に、「フォン・イェンと小川プロの絆」について講演があります。
ぜひ彼女の熱い語りに耳を傾けにいらして下さい。
もちろん、来週の7日の舞台挨拶やトークイベントもどうぞお楽しみに!
                            DDセンター 濱治佳
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# by bingai | 2009-02-27 14:39

音、もうひとつの物語(その2)

 音響設計の菊池信之です。
 山形映画祭終了後、監督は程なくして中国に帰国した。
 その後、中国と日本とでデーターを受け取り、メールのでのやり取りから始まって音として完成するまでに2ヶ月半を要した。

 仕事の内容について、監督と直接話しが出来る時間はほとんどなかった。なぜなら私がこの仕事を引き受ける事が決まったのは、帰国直前だったのだ。
 監督が日本に居たときに残していった言葉の部分的な記憶と、作品としての映像だけで、音の状況を積み重ねて行くことから始まった。

 作業は、映画祭に出品した作品の音のデーターを解きほぐすことから。中国で整音を担当した前任者、張さんは山形版を3日間という時間の中で仕上げなければならなかったそうである。その3日間の時間の中での仕事は実に丁寧だった。私が音の再構成をするにあたって、張さんはご自分の作業したデーターを快く提供してくれたので継続して作業が出来た。とても助かり感謝している。

 最初に監督から受け取った材料は、その時の編集データー、つまり同時録音のものが中心だった。しかし私はそれとは別に音だけの素材はあるはずだと思っていた。木々のざわめき、川の音、そして生活の音。どんな音があるのだろう。先ずその音を聞くことから始めたいと、とても楽しみにしていた。

 しかし送られてきた音の素材は驚くほど少なく指折り数えられるほどだった。音の仕事をしている私の場合、一ヶ月程度の撮影期間があったら数え切れないほどの音を録る。驚いた私に監督から申し訳なそうなメールが入った。
 「撮影当時は映像を撮る事だけしか頭になく、音の関する意識は全くなく、音だけを録るという発想がなかったんです。」と。
 それなら、本編に使われていない撮影テープの中に欲しい音はいくらでもあるはずだ、その中の音を送って貰おうとしたがこれも考えが甘かった。
 7年にも及ぶ撮影の中で撮りためたテープの中から必要そうな音を選び出すには、その膨大な資料を整理しなおさないといけない。この作品の続編(新作)を編集中の監督にそれは現実的な事ではなかった。

 しかし、僅かながらと言ったその音はさすがに現場の音である。家畜の鳴き声、小鳥の声、木々のざわめき…。映像と重ね合わせると、秉愛を取り巻いていたであろう音としてその空間を形作った。
 畑作業の時に吹き抜ける風も、遠くに聞こえる鶏の声、秉愛と共にあったその音は、やがて水の中へと消えて今はないのであるが、それは水の中でも響き続けているような印象をこの仕事の最後に与えてくれた。

 撮影の瞬間は予測しない音が入って来ることがよくある。その予測していないと言うことは、我々の意識を越えて、むしろ現実の深さや複雑さを感じさせる。しかし時には条件によって現実に在りながら収録できない音も沢山ある。足りない音は私の録りためていた音を使うこともある。自然の音が中心だったが地形、距離感などが同じ状況のものを注意深く選んだ。
 以前から私は、現実の音を録る場合に、月日、時間、周りの状況を一緒に録音しておくことを習慣付けていた。「○月○日、午後××時頃、幅何メートル位の川、距離は・・・、遠くに国道がはしっています」などのように。後で同じ状況の音を選び出すのに具体的な説明が必要なのだ。私が求めているのは分かりやすい音、典型的な音ではなく、具体的な「存在」としての音なのである。

 現実には様々な音がある。川の音を一つとっても、聞こえないようなレベルでも木々のざわめき、遠くの車の騒音、いろんな音が含まれている。それら夾雑物が含まれているのが現実の音なのだと思う。全ての音にその夾雑物は含まれている。むしろ夾雑物そのものが世界なのだと思う。

 川という意味(のある音)とそこに誰かがやって来るという意味(の音)だけでは世界は動かない。風による木々のざわめきもあれば、遠くの工事の音もあるだろう。それが川という存在、人という存在を支えていると思う。人物が、風景が、どの状況に置かれているのか、背景となる音が必要なのだ。その置かれている状況(音)によってその人物の感情、思考は影響されると思う。

 しかし、現実社会に氾濫する音の中で、その人が置かれている状況、意識、感情によって聞こえてくる音も聞こえない音もある。そうした感情や状況にどう寄り添うかが映画をリアルへと導く。音の選び方によって、写されている人物や物との関係は形成される。これを「まなざし」と言ってもいいと思う。

 撮影者が現実を見つめる場合に、風景でも人物でも、どの距離感でそれを見ているのか、その「距離」の取り方はまた大事だ。それによって音の選び方も変わってくる。
 説明が難しいのだが、一台の車が走る。道路を含む風景の一つとして見るのか、その走る車に何らかの感情があって、その感情で見るのかによって音も変わる。
 いわば、映画(の意識)が何処に位置しているのか、映画の「立ち位置」によって、音のあり方が違ってくるのだ。(音の在り方によって映画の立ち位置が変わるともいえる)

 面白いのは、こうして音を構築していくときに、映像の見え方が変わってくるし、その変わり方は音をあててみないと分からない。音をあてる時が、映像が生まれ変わる瞬間なのだ。映像の細部が見えてくるし映像の奥行きも感じる。そしてその事によって映像編集の意図が見えて来るのだ。
 監督との打ち合わせの時間もないまま仕事を進めることができたのは、音を積み重ねることで見えてくる世界があるからなのだ。
こうして音の作業は続いた。

 音響設計と言っても私の場合、頭の中に浮かんだイメージを都合良く当てはめるのでなく、映像の現実に寄り添うことで音のあるべき形がみえてくるのです。
 映画の内在する現実が、いままで気づかなかった空間へと広がってくるのです。
 映画が映像だけではない「もう一つの物語」としての音を含んだ時に、映画が更に大きく発展するのだと思います。


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# by bingai | 2009-02-10 01:36